教会略史
日本基督教団大阪東十三教会は、1927年11月19日に阪急「十三駅」東口から東北約200メートル、「十三東ノ町ニノ一〇一番地、100坪の土地に、「日本メソジスト十三教会」(釘宮辰生牧師)として創立されました。
1941年の宗教団体法による日本基督教団の成立に伴い、「日本基督教団大阪東十三教会」となりました。(日本基督教団はその後、1966年に「沖縄キリスト教団」と合同しました)
1941年の宗教団体法による日本基督教団の成立に伴い、「日本基督教団大阪東十三教会」となりました。(日本基督教団はその後、1966年に「沖縄キリスト教団」と合同しました)
1945年6月には戦災で会堂を焼失し、しばらくの間、関西学院教会に合同して礼拝を守り、また医師であった教会員の住宅兼病院が復興建築されてからは、病院の待合室を用いて礼拝を守りました。
1949年3月、現在地に土地を購入し、これに旧敷地の換地をうけて復興建築が木造様式でなされ、会堂の献堂式を挙げました。
1949年3月、現在地に土地を購入し、これに旧敷地の換地をうけて復興建築が木造様式でなされ、会堂の献堂式を挙げました。
同年9月、臨時総会を開いて地域社会への社会福祉事業として「青少年会館」の設立を決定し、そのため会堂の移築と増改築が計画され、1959年に会堂の工事完了。
1960年8月には「大阪青少年会館」が竣工しました。
1963年に財団法人大阪青少年会館として府の認可を得て隣保社会福祉事業の発足をしました。
現在は「愛光文庫」としてその働きが継承されています。
そして1977年3月、現在の会堂が建築されました。またバリアフリー設備の工事が2020年10月から50日間あり、エレベーターと車椅子用のトイレを設置しました。
1960年8月には「大阪青少年会館」が竣工しました。
1963年に財団法人大阪青少年会館として府の認可を得て隣保社会福祉事業の発足をしました。
現在は「愛光文庫」としてその働きが継承されています。
そして1977年3月、現在の会堂が建築されました。またバリアフリー設備の工事が2020年10月から50日間あり、エレベーターと車椅子用のトイレを設置しました。